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デサントの新中期経営計画──再び目指す成長路線(中)
新たな高収益体制の構築を模索

update: 2019/09/03

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収益性向上に貢献した韓国ビジネス。 写真は「デサント」の明洞・旗艦店 (中計資料から抜粋)

収益性向上に貢献した韓国ビジネス。
写真は「デサント」の明洞・旗艦店
(中計資料から抜粋)

デサントが新しい経営陣の下で策定した新中期経営計画「D‐Summit 2021」。強化ブランドである「デサント」を中心に増収を図る一方で、地域面では日本・中国・韓国を3つの柱とし、中でも中国において売上規模の拡大を目指す内容だ。さらに収益性を高めるため、また安定した経営基盤を整えるため、第3の柱として中国市場に着目した。──そもそも、同社が近年の高い収益性を実現できた背景には2000年代、韓国市場を中心としたアジア市場を積極的に開拓した経緯がある。少し時計の針を巻き戻し、その道程を見てみよう。

“マンシング・ショック”を切り抜けた1990年代

デサントが伊藤忠商事と本格的に関係を持つようになったきっかけは、1984年のいわゆる“マンシング・ショック”だった。当時、主力ブランドだった「マンシングウェア」の不良在庫が膨らみ、1984年7月期(当時はまだ3月期ではなかった)の本決算で、営業損失122億8,300万円を計上するに至った。売上高は917億9,100万円(13.0%減)だったので、いかに巨額の損失計上だったかが分かる。

その後デサントは、伊藤忠商事に経営再建の助力を要請。後に同社社長に就任する飯田洋三氏が派遣され、経営の立て直しが図られた。飯田氏は1994年から2002年までの8年間、社長を務め、在庫管理が徹底できていなかった経営体質の改善に尽力した。

飯田社長の下、デサントは経営健全化を推し進める。売上規模も1,000億円を維持しつつ、経常利益も60億円台に達するまで回復していた。しかし、98年の“アディダス・ショック”で、またも経営不振に陥ることになる。収益の柱の1つだった「アディダス」ブランド事業からの撤退を余儀なくされたからだ(アディダス社との係争にまで至ったが、本筋から外れるため詳しくは触れない)。

その影響で、1997年3月期に売上高1,109億1,900万円、経常利益67億7,000万円と好調だった業績も、4年後の2001年3月期には、売上高628億7,900万円、経常損失8億6,200万円にまで悪化してしまった。